人とお金の余剰(余裕)が生み出す価値

このところ、評価の高いホテルやレストラン等に行ってつくづく感じるのは、「サービス」とは人とお金の余裕ないし余剰が生み出す価値である、ということです。

至極当たり前のことなのですが、人手不足で働き手が見つからないことと、一見景気が良いように見えて、「安いことに価値がある」という発想に染まってコスト削減にばかり目がいっているのが日本全体の傾向で、当たり前のことが当たり前になっていない、という印象が拭えません。

確かに、国内経済はインバウンド景気で潤っている一面はありますが、それは日本のかつての「サービス」レベルが維持されていることによるものとは限らず、劣化しつつも諸外国よりはまだ平均的にはマシであることで、訪日客の皆さんがお金を払っているにすぎないのではないか、という懸念があります。そうであるなら、いずれはこの劣化しつつある日本のサービスを海外の「サービス」が上回る日が来るでしょうし、それはさほど遠くない将来と考えるべきではないか、と思うのです。

実際に、アジアの国でもちゃんと人とお金をかけている「サービス」の品質は、ホテルやレストランの客室や料理といったモノやハードのレベルと相まって確実に高まってきていて、それに見合ったお金を払うだけの価値があるものになってきているというのが偽らざる実感です。そして、中国に顕著に表れているように、「サービス」を高めたり、少なくても悪いことをしないことが自分の「クレジット・信用」そして給与にダイレクトに反映される社会になってきている流れが、(中国に限らず)レベルアップを加速しているのだと感じます。

一方で、日本の国内を見ると、冒頭に書いた通りこうした流れとは逆の方向に行っているのではないか、という懸念があります。知名度の高い国際ブランドを冠したある都内のホテルのレストランは、かつては料理が好きでよく行っていたのですが、しばらく前からフロアに人が足りておらず必要な時にスタッフの方を呼ぶことができにくくなって、シェフの交代や懇意にしていたスタッフの離職という要因もありますが、足が遠のいてしまいました。また、やはり高級とされる有名ブランドを冠した別の東京のホテルに宿泊したがガッカリだった、という日本人の知人の話を聞いたりもしています。

ここでいう「サービス」は、日本語での”サービス”ではなく、ちゃんと対価が発生するもののことで、決してタダではない、金銭で測れる価値があるもののこと。その価値に応じて値付けに反映されている、つまりは高く売られ、そして高く買われているものです。

そこでは、むしろ「サービス」の価値を高めたことに応じて価格も高めていき、それが働く人の収入も高めていく、という循環が感じられます。一方で、日本では、「やりがい搾取」などとも言われる働き手の「サービス」へのタダ乗りが横行し、適正な価格設定ができないままに、全体のレベルが低下してしまっているのではないか、という懸念があります。

また、こうした視点が、今の「働き方改革」と称する一連の流れには欠けているように感じられます。副業解禁も、本来払うべき給与を払えないから副業で補ってくれ、というメッセージとも受け取れなくない気がします。(念のために申し添えると、私は副業解禁自体は悪くないと思っています)。

本当にコストの削減=価格の据え置きないし低減が、働き手はもちろん、顧客にとってプラスになっているのか、いわば「日本の常識」を疑うところから始めた方が良いのではないかと、毎日補充されたり古いものが置き換えられていつまでたっても「ウェルカム」が継続する、アジアのあるホテルの「ウェルカムフルーツ」を眺めながら考えてしまいました。

 

 

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